【歴史探訪】柏原市国分——「東町」が守り伝える200年のだんじり魂

雑記

大阪府柏原市の南東部に位置する国分本町4丁目。現在は静かな住宅街が広がっていますが、ここはかつて「東町(ひがしちょう)」と呼ばれ、地元ではひがっちょと愛着を持ってそう呼びます。ここは奈良街道の要衝として栄えた非常に歴史の深いエリアです。

今回は、この地に息づく歴史と、200年以上にわたって受け継がれてきた「だんじり祭り」の物語を紐解いていきましょう。

旧町名「東町」の成り立ちと歴史

現在の国分本町4丁目と田辺1丁目の一部は、1967年(昭和42年)の住居表示変更以前は「東町」と呼ばれていました。

この地名の歴史は古く、江戸時代にまで遡ります。当時、奈良街道沿いに「新町(しんまち)」という街が開かれましたが、その東側に位置していたことから通称として「東町」と呼ばれるようになったと言われています。1704年の大和川付け替え以降、船運業(国分船)が盛んになると、この地域への人口流入が進み、西町・東町という呼称が定着していきました。

東町は、新興地としての側面を持つ西町に対し、旧村地域を含んだ構成になっているのが特徴です。

地域を見守る氏神「国分神社」の由緒

東町の人々が古くから心の拠り所としてきたのが、国分市場に鎮座する国分神社です。

  • 創建: 鎌倉時代の1280年前後(後宇多天皇の御代)と伝えられています。
  • 御祭神: 大国主命(おおくにぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、飛鳥大神(あすかのおおかみ)
  • 歴史的背景: 社殿の背後には、古墳時代前期に築造された松岳山(まつおかやま)古墳があり、歴史の積み重ねを感じさせます。

この神社を中心に、夏(7月17日)と秋(10月17日)の例祭が執り行われ、地域の絆を深めてきました。

200年以上の歴史を誇る「東町のだんじり」

東町が誇る伝統文化の象徴といえば、「だんじり(地車)」です。

口伝では「国分の中で最も古くからある」と言われてきましたが、それを裏付ける貴重な記録が残っています。1821年(文政4年)、当時の国分村の住人が町奉行所に提出した嘆願書の中に、「夏祭りなのにだんじりを出してきて(木を切るなどの騒動があり)困っている」という旨の記述があります。

この記録から、今から200年以上前には既にだんじりを所有し、盛んに曳行していたことが分かります。

歴代だんじりの歩み

東町のだんじりは、時代とともに姿を変えながら守られてきました。

  • 初代: 戦後直後まで出されていた大型の幕式だんじり。高さは約4mあったと伝えられています。
  • 2代目: 昭和30年頃に活躍した小振りの幕式だんじり。
  • 3代目: 1979年(昭和54年)に地元工務店より寄贈。現在は近隣の芝山自治会へ引き継がれています。さらに近年に他所へ売却されたとか。
  • 4代目(現在): 1989年(平成元年)に南河内郡河南町白木地区より購入した石川型だんじりです。
昭和38年の東町だんじり

未来へつなぐ:文化庁助成による大規模修繕

現在、この4代目だんじりは、地域の宝を次世代へ継承するため、文化庁の助成金事業を活用した復元修繕の真っ最中です。

令和6年4月には「東町地車継承保存実行委員会」が組織され、伝統文化の保存・継承に力を注いでいます。丹念に修復されているだんじりは、今年の秋頃には、再び私たちの町に戻ってくる予定です。

新しく生まれ変わっただんじりが、再び国分の町を勇壮に練り歩く姿を見るのが今から待ち遠しいですね。200年の歴史を胸に、東町の伝統はこれからも続いていきます。


参考資料:
国分神社由緒 / 柏原市公式サイト「江戸時代の国分村」シリーズ

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