令和最初のひがっちょ秋祭りが無事終了しました

ひがっちょ祭り

令和元年のひがっちょ秋祭りが10月12日・13日に台風による悪天候もありましたが、無事に滞りなく行われ、終了しました。
個人的には今年の祭りは事前準備にほとんど参加出来ず、鳴物練習も参加出来ない中で迎えた中でどう携わろうかと、悩む事もありましたが、始まってみれば楽しく充実した祭りでした。

ひがっちょとは?

毎回の事ですが、ここから説明していきましょう(^O^)

柏原市国分本町4丁目・田辺1丁目の一部地域を旧地名で東町と呼びます。
そのまま読めば『ひがしちょう』なのですが、地域訛りで『ひがっちょ』と呼びます。
このひがっちょで育った私は祭り時期だけではなく普段からも地元をひがっちょと愛着を持って呼んでいます。

国分に帰って来たというよりひがっちょに帰ってきたという方が私にはしっくりきます。

そんなひがっちょですが、私は今は訳あって少し離れた場所に住んでいます。そんなに地元が好きなら住み続ければええんと言われそうですが、そうもいかん事情がありますのです。それはまた別の機会に話そうと思います。

国分の祭り

さて、国分の祭りですが、私が生まれるずっと前から地車祭りです。江戸時代の国分の町の記録にもだんじりを出したとあるので、まぁまぁ古い歴史があるようです。
記録には新町の若者がだんじりを出して暴れたという記録(あまり良い記録ではないですが)があり、当時の町域からすると新町は東町にあたると考えています。

江戸時代の国分村

昔からひがっちょの若い衆はだんじりが好きだったようです。

そんなひがっちょの秋祭りをYouTubeにアップしたのでご覧ください。何せ参加しているのでソースが少ない中でまとめているので動画時間が短いのはご容赦ください。

10月12日分です。



10月13日分です。




10月13日の大和川親水公園でのパフォーマンス分です。

今年の祭りでは時代の流れか、だんじりの曳行を中止する町会があり寂しい限りです。子供は曳きたいはずなんですが、大人の都合で取りやめるのは如何なものかと思います。

ひがっちょはどんな時代も祭りを絶やす事無く続けて行きたいものです。

令和の時代もひがっちょ祭り

昭和、平成、令和と私が過ごしてきたひがっちょ祭りは紆余曲折を経て今に至ります。何も障害が無い訳ではありません。今の多くの問題を抱えながらも毎年毎年だんじりを曳き続けています。

続ける事が大事。

止めることは簡単です。
しかし、一たび止めてしまうと再開は容易ではありません。

だんじりのある町がだんじりを曳き続ける。当たり前のようで当たり前でない。
そこには様々な努力と苦労が積まれています。

地域の皆さんに受け入れてもらえる祭りを、これからもひがっちょは続けていけるようにしていきたいですね。

暴れて困らす事のないよう( *´艸`)


では今回の記事はここまで。

ご精読ありがとうございました。

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