平成最後の日に

雑記

平成31年4月30日。平成最後の日に平成を振り返ります。少年→青年→壮年と平成時代を生きてきた中で感じた祭り感などを書いてます。

平成18年東町秋祭り

平成初期=少年時代

河内国分はひがっちょに生まれた私は幼少時代に昭和末期を迎え、物心ついた頃にはだんじりに付いていくというのが当たり前になっていました。

父親に肩車されだんじりの後を追いかけていた事を今でも覚えています。

小学4年の1月、昭和天皇が崩御され時代は平成へと変わっていきました。
当時は子供ながらに日本国中に流れる悲しみの雰囲気を感じ取っていました。
平成初期はバブル崩壊と相まって経済的にも苦しい時でもありました。
私の実家も例に漏れず変化に対応するのを苦慮していたと今になって思えます。

そんな中、私の地元のひがっちょの秋祭りは今と違って小さい小さい子供用だんじりを曳いていました。ですが、参加者は今の数倍多く、子供の数も100人近く居たと記憶しています。一町会で運営している事を考えると物凄い参加率だと思います。

綱先にいるとだんじりが遠くに感じられたものです。
特に狭い村中で角を曲がる時はなかなか出てこないだんじりをドキドキしながら待っていました。あのドキドキ感は当時最高の感覚でした。

路地からせり出してくる笹とぼんぼり提灯が見えると皆で歓声を上げたりしていたものです。子供だんじりとはいえ、地区内では大きい方で、それが自慢でもありました。

そんな町に大型のだんじりがやってきます。
私が14歳、中学2年の時です。
所謂、石川型というだんじりで大屋根下の舞台がせり出し、彫り物は屋根周りに少々あるだけの幕式のものです。
あとで知りましたが純粋な石川型ではなく、石川型風のだんじりでありました。

大きさだけなら地区内で断トツのサイズでしたが、私は素直に喜べませんでした。すでに感覚は成熟期に入りつつありましたし、何せ中古で買ってきて、自分たちで整備して、尚且つ石川型特有の不安定な立ち姿がそれまでの私の地車感とは一線を画すものでしたので。

実は当時、私は母方の生地である生野区中川の祭りを知っていました。中川の当時のだんじりを見て、将来うちもこんな祭りがしたい。こんなだんじりが欲しいと思っていました。
そんな中やってきた石川型“風”だんじり。受け入れるのに時間がかかりました。

平成18年勝五夏祭り

平成中期=青年時代

平成も半ばになり、世の中には携帯電話が普及し始め、コミュニケーションツールとして欠かせないものになっていきます。同時にインターネットで情報の収集が容易になり始めた時期でもあります。

当時、大学生の私はだんじりが出ると聞いては方々に出掛ける今の生活スタイルになっていました。各地で出会った人と繋がり、だんじりの素晴らしさ・深さ・難しさ・善し悪し等、自ら見て聞いて判断していくようになっていました。

そんな中、地元ひがっちょの祭りとなると依然として煮え切らない感覚のまま参加していました。参加者も減り、このまま廃れるのではないか、最悪無くなるのかなぁ~等と他人事のように捉えていました。

人生を変えた二日間

ちょうど20年前、19歳の秋祭りが終わったころです。先輩から千早赤阪村の秋祭りビデオを見せて貰いました。

衝撃でした。

今でも鮮明にあの映像を覚えています。

見たい!!

正直な感想でした。同じような祭りで同じでない。
その映像にはハッキリと自分が子供の頃に感じていたドキドキ感が至る所にありました。

ひがっちょ祭りの翌週末、連れて行ってもらった先は河南町中村神社。
今でこそギャラリーが溢れかえる程のポイントですが、当時は疎ら。余裕で最前列というか明確な仕切りもなく、見物出来ました。

そこでの目当ては水分。ビデオを見せてもらったのは水分の祭りで、生で見たいとリクエストして連れてきてもらってました。

渋い!カッコいい!!

中村神社まで着くと多くの石川型だんじりに囲まれるという圧巻の風景。
感動的でした。色とりどりの提灯に老若男女問わず、だんじりに集うという、懐かしさに涙が出るほど嬉しく思いました。自分が求めていた祭りがここにはある!

感動と衝撃はこれだけではありません。

寛弘寺

カルチャーショックとはこのことを言うのでしょう。
自分の祭感が全部塗り替えられるような衝撃でした。
圧倒的な存在感、クオリティ。どれを取っても完璧に近い存在。
祭とはこうあるべきと言わんばかりの主張力。

到底真似できない。近づけない。当時はそんな存在でした。
羨望の眼差しで見ているだけ。
でも確かに私の足は寛弘寺に向いていました。

付いていくしかない

自分で言うのもなんですが、色々な地域の祭りを見にいくと祭りに熱心な地区とそうでない地区がハッキリ分かります。祭りに対する考え方も透けて見えるようになります。当時の自分にはその判断力はすでにありました。

寛弘寺はその中のイメージというか、概念を一瞬で抜いていきました。
そのあとは夢中で追いかけていました。そう、少年時代のひがっちょ祭りのように。

これや。

平成中期をだんじりにどっぷり漬かった時間を過ごした私は、目指す方向性を見つけました。

平成21年水分

平成後期=青壮年時代

自分が団長を任せられた時代。ひがっちょ祭りは変革期にありました。それまでの祭りと新しい祭りのスタイルが混載し、参加する人も意識が疎ら。子供も時代の流れに逆らえず減少の一途。

自分の思い描いた祭りとは程遠い状態です。
そんな中でも祭りに対する情熱はどこにも負けないくらいの人材が揃いつつありました。先輩後輩、足しても40人に満たない状態。でも、ある決断をします。

だんじり新調

青年団が中心になり話を進めて、だんじり新調という決定を受けます。

条件もあって完全新調とは行きませんでしたが、ほぼ新調でGOがかかりました。

工務店選びから彫り物テーマ選びからその他諸々の段取りと、全てに携わる事が出来たのは貴重な経験です。
中古で買ってきた不細工な石川型”風”だんじり。あれ程毛嫌いして、受け入れられなかっただんじりですが、この頃には自慢のだんじりとして受け入れる事が出来ていました。

『皆で作ってきただんじりや』と。

そうして出来た新調の石川型“風”だんじりがこちら。

東町新調時@隆匠工務店

皆で作ってきた、残してきた祭でこのだんじりで曳きたい。そう思えるようになったからこそ、新調まで扱ぎ付けたと思っています。

このだんじりをこの先もずっと曳き続けられるように、ひがっちょ祭りを残し、そしてまた作っていきたいと思います。

少年時代に感じた祭りのドキドキ感は大人になった今でも胸の奥にずっと仕舞っています。もう外に出す事は少なくなりましたが、その気持ちは今の子供達に渡して行きたいと思います。

だんじりの形も祭りのスタイルも変わってしまいましたが、これが自分たちの祭りやと胸張って言えるように続けて行きたいと思います。

年とるとだんじりから離れていってしまうのは寂しいですが、それはそれで楽しみ、毎年を当たり前と思わずに続けて行きたいですね。

平成29年ひがっちょ祭り

平成最後の日に願う事

今日、平成31年4月30日で平成は終わります。

次は令和の時代。

新しい時代もだんじり祭りが勢いよく続けていられる世の中である事を願います。
どの村もどの町も楽しめる祭りである事を願います。
老いも若きも皆が揃って出来る祭りである事を願います。

きっとそれが人々の生活に必要であると思うのです。

平成は良くも悪くも個人の意見が通る時代になりました。

令和もその流れが続くでしょう、でも祭りという日常は一人では作れません。

皆で力を合わせて築くものです。普段からそういう意識を持っていくというのは非常に大事だと思っています。

祭りは本当に素晴らしく尊いものです。

私はこれまでの人生の大半を過ごした平成時代に、それを知ることが出来ました。

令和に生まれる新しい命にもその事を伝えて行けたらと切に願います。

長々とお付き合いありがとうございました。

令和も引き続きよろしくお願い致します。

おわり

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